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ギリ東京住みのサラリーマン

23. 福島民友

先日、福島に行ったのですが、その帰り際に面白そうだなと思って「福島民友」という新聞を買って帰りました。

その新聞に載っていた【復興の道標・不条理との闘い】というコラムがとても印象に残りました。福島民友のサイトを見たら、シリーズ5つが全部載っていたので簡単に紹介したいと思います。

 

時間がある人は、ぜひ、リンク先の5つをゆっくり読んでみてください。

(なんとなく印象に残ったところを引用しておきます)

 

【復興の道標・不条理との闘い】自分で見て伝えたい モモ吐かれた経験原点:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

2015(平成27)年夏、ミスピーチキャンペーンクルーの一員として横浜市の百貨店で福島のモモの販売促進イベントに参加。1人で買い物に来ていた女性にモモの試食を勧めた。「おいしいね。どこ産の?」との質問に「福島から参りました」と答えると、女性はモモを吐き出した。 

 

【復興の道標・不条理との闘い】自信持ち語る力を 原発視察、若者の学びに:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

 「若者が将来世界に出て『福島の原発どうなってるの?』と聞かれて『知らない』はまずい。自分の言葉で語れるようになってほしい」。東京大学教授の早野龍五(65)はそんな思いから昨年11月、福島高校の生徒を連れて東京電力福島第1原発を訪れた。18歳未満の若者が第1原発を視察するのは原発事故後初めてだ。事前に勉強会を重ねた生徒たちは、担当者に次々と質問を投げ掛けた。

 

 生徒たちの視察に対し、インターネット上などで数多くの批判が上がった。被ばくを懸念する意見のほか、「東電が見せたい物を見るだけ。東電の安全PRに利用されるだけだ」「どういう意図的な発信をするつもりでマスコミを同行させたのか」と非難された。

 

【復興の道標・不条理との闘い】偽ニュース海外拡散 格納容器の高線量...誤解:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

 「福島の放射線量が今、過去最高のレベルに達している」。視聴者数の多い米国のある放送局は、東電の発表を受けてそう報じた。画面には原子炉建屋の水素爆発など2011(平成23)年当時の映像が映し出され、当時取材に携わったという男性記者は「まさか6年たってここまでひどい状況になるとは夢にも思わなかった」と深刻そうにコメントした。

 高線量の数値は、核燃料が溶け落ちた格納容器内の線量だが、あたかも福島県全体の線量が上がったと取れるニュースもあった。実際は格納容器の外は線量に変化がなく、異変は起きていない。この6年、放射性物質の自然減衰などの効果で本県の放射線量は低下し続けている。

 事実と異なる情報は、英語圏にとどまらず中国語やフランス語でも広まった。「福島に来れば『フェイクニュース(偽記事)』だとすぐ分かるのに」。福島大助教のマクマイケル・ウィリアム(34)はうんざりした様子で語る。

 

【復興の道標・不条理との闘い】無関心が偏見を生む 現状見ずイメージ固定:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

 県外の人に正しい理解を求めていくことは重要だとする一方で、6年が経過した現在では限界もあると感じている。

 「福島と関わらない限り、県外の人が『シーベルト』など放射線の基礎知識を勉強しても日常生活の役には立たない。放射線が人ごとになるのはしょうがない。ただ、偏見で県民が苦しむということだけは理解してほしい」

 

【復興の道標・不条理との闘い】映像で描かれた福島 真摯に向き合う作品も:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

震災後、福島県原発事故をテーマに多くの映画が作られた。誤解に満ちた表現や、政治色を前面に出した展開など、県民にとって見るに堪えない作品も少なくない。

 

しかし、時間の経過とともに県民と真摯(しんし)に向き合う映像作家も増えた。ドキュメンタリー映画「新地町の漁師たち」(福島市で4月公開予定)もその一本だ。福島市の映画館「フォーラム福島」の支配人・阿部泰宏(53)は「漁師さんたちの痛みやジレンマが、私たち内陸部に住む県民にも伝わってくる」と評価する。

 

阿部は「発生直後ではなく5年、10年としばらく時間を置いてから動き始める映像作家もいる」と言う。「これまでの『福島はかわいそう』という単純な構図とは違って、彼らには新しい視点からのメッセージを発信してほしい」

 

 

福島のよそ者という立場の自分は、この5つの記事を読んで、いろいろなことを考えました。

 

まず、モモのおばさんの気持ちが少しわかるなということです。自分にも

「危険じゃないかもしれない。しかし、関わらずに済むならそれが一番」

という気持ちがあります。疑わしいものは関わらない、そういう生き方のほうが賢かったりするのかもしれません。 

「今は」特に何の異常も見受けられないが、もしかしたら遠い子孫になんらかの異常が出るかもしれない…

そんな漠然とした不安があり、そう思うことははたして悪いことなのでしょうか。

 

ただ、そんなことを考える一方で、もう既に今の自分たちの生活はたくさんの「疑わしいもの」の上に成り立っているという現状もあるなとも思いました。遺伝子組換食品やたくさんの化学調味料、携帯の微弱電波に常時さらされることも危険と言っている人も聞いたことがあります。

このような現状を肯定して生活しているのなら、そうしたたくさんの「疑わしいこと」の一つである「安全だと判定された福島県産のモモ」だけを特別に疑うことはなんか理屈が通らないような気もしました。

 

 いずれにせよ、5つの記事を読んだことで、自分が持っている福島県の知識というのが非常にあいまいなものであるということを自覚することはできました。また、自分と同じようなあいまいな知識、勝手なイメージを持った人の配慮のない言動、振る舞いによって傷ついたことのある福島の方がたくさんいるということも知ることができました。気をつけていきたいです。

 

 

よそ者がつらつらと偉そうなことを書いてしまってすみません。

 やさしさには賢さが必要だなと思う今日この頃です。