こちら目黒区矢内原公園前数理棟

東京に住む男子学生の2017年

27. 草津

群馬県吾妻郡の草津町へきました。

 

草津国際スキー場で人生2度目のスキーをしてきました。1度目は小学生くらいの頃で、全く何もできず、何も身につかなかったので、事実上今回が初体験みたいなものでした。

 

「手ぶらでスキーセット」という、スキー板、靴、上下ウェア、手袋、ゴーグルにニット帽まで借りられて、さらにリフト一日券までついて8200円というプランで遊んできました。

草津国際スキー場 | ウィンターシーズン | レンタル

本当に手ぶらで行ったので「こんな簡単にスキーってできるんだ」と感動しました。

 

今回、スキーが上手な友達に色々習うことができたのですが、小学生の頃よりはできるようになりました。自分が多少賢くなったんだなと実感できてよかったです。やっとボーゲンができるようになった程度ですが笑。

 

そして、草津といえば温泉ですよね。

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温泉の歴史とか調べようと思ったのですが、なんかよくわからなかったのでやめました。ちょっと調べてネットサーフィンしてるときに、源頼朝とかが出てきたのですが、そういえば、昔の人も今と同じように温泉とかに入っていたのでしょうか。

まあ猿が人みたいにつかっているということは、昔っから人もあんな風につかっていたということでしょうか。

 

 

26. 名古屋

皆さんは「第一東海自動車道」という道路をご存知でしょうか。

 

東名高速の正式名称だそうです。一般に東名高速と呼ばれているだけで、法律的にはこの「第一東海自動車道」という名称だそうです。東名と呼ばれる理由はご存知ですよね。「東京」と「名古屋」を結ぶから「東名」。

 

そんな東名高速を使って、東京から名古屋に行ってきました。

友達の引越しの手伝いということで、レンタカーを借りて荷物を積んで行ったのですが、現地で荷下しをしてからは、普通の観光をしてきました。

 
 
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名古屋城では期間限定で「スター・ウォーズ展」がやっていました。全部で7階建くらいあるのですが、2階のスペースをそのスター・ウォーズ展に使っていました。入場料は敷地自体の入場料(500円)と合わせて1800円。
高い…しかもあんまり興味ない…と思いつつも、せっかくなので見てきました。
映画のたくさんのこだわりが展示してあり、なるほど世界中でヒットするわけだなと思いました(なんか偉そう)。
 
「城」というものにこだわらず、いろいろな特別展を企画する名古屋城の姿勢になんか感動してしまいました。
今から400年ほど前の1615年4月に、徳川家康はこの城から、大坂夏の陣へと向かったらしいですが、その当時、400年後のこの城がこんなスター・ウォーズ展をやっている観光名所になっているとは想像だにしていなかったことでしょう。
 
そういえば、思い返せばこの春は金沢城、二条城、広島城と城ばっかり見ました。少しくらい城について調べておけば見え方も違っただろうに…
 
 
 
今回も金沢の時と同様、食に恵まれた旅でした。
 
みそかつ
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ひつまぶし
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 特にひつまぶしがあまりにおいしくて、気付いたらみんな無言で食べていました。おいしいものって人を無口にさせますよね。うなぎ、絶滅しないで。
 
 
 

25. 防災

先日、何回かにわたって文京区の手話サークル「文京手話会」を見学してきました。 文京手話会

その手話サークルでは、普段の活動は手話の学習なのですが、何ヶ月に一回か班活動といって、レク班や映像班、防災班などに分かれて小会議、報告会みたいな活動を行っています。自分は前回、防災班の活動に参加させていただきました。

 

そもそも防災班という機能が存在していること自体、大学の手話サークルと地域の手話サークルの性格のちょっとした違いが感じ取れて新鮮でした。

 

「東京防災」という本をご存知でしょうか。

またWikipediaの引用です。

東京防災(とうきょうぼうさい)とは、東京都が2015年9月に、東京都内の全世帯に配布した防災用のハンドブックである。

 

なんか、どっかでみたことあるような黄色い本です。中身は全てPDFとして小分けにされてネットに上がっています。次のサイトに行けば全てのページを見ることができます。

 

www.metro.tokyo.jp

 

読んだことがない方は、「01 大災害シミュレーション」というところとだけでも読んでみることをおすすめします。災害が起きた時のこと、どうすればよいのかを時系列に沿って書いてあるので、読みやすいです。

 

書いてあることは「まあ、知ってるな〜」というものがほとんどですが、たまに「あ、なるほど」みたいに思うこともあります。

 

正直、防災については「災害があったとしても、まだ若いし、体動くし、学生のうちは時間もあるし、なんかあったら人の役に立ちたいな」程度の漠然としたイメージでしかいませんでした。

 

ただ、その手話サークルの熱心なおばさんたちの議論を聞いて、知識を持っているのと持ってないのとでは、大きく違うということに気づきました。

災害で死の危機に直面したとき、どう生き延びるのかということだけではなく(僕はこういうことばっか想像しがちですが)、その後の避難所生活でどういう問題が起きるのか、どういう工夫があるのか、具体的に過去の事例から学ぶことも重要だなと思いました。

 

何事も勉強ですね。

 

 

 

24. 東京23区

先日3月9日の投稿

22. 福島 - こちら目黒区矢内原公園前数理棟

福島県は大きく「浜通り」「中通り」「会津」の3地域に分かれていると書きました。ちなみに、この頭文字たちをとって、福島のNHKの月〜金曜日18:10〜19:00には「はまなかあいず」というニュース番組がやっています。なんかほっこりする名前ですね。

 

そのことを受けてふと思った、自分の住んでいる23区はどういう形になっているのだろう?という疑問から、久しぶりに23区の地図を見てみました。

 

突然ですが、これが白地図です。みなさんは、どこに何区があるのかわかりますか?

 

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スクロールすると答えがあります↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正解

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みなさん、どのくらい知っていたでしょうか。この白地図、区の境界と河川がよくわからなくなっているところがありますが、あしからず。

 

23区をこういう風に見るのはおそらく、中学生の時以来なのですが、全然覚えてませんでした笑。

 

北区ってこんなに広いとは思っていませんでしたし、中央区がこんな位置にあるのも知りませんでした。台東区って海沿いにあると思っていました(それは江東区)。

 

23区のこと全然知らなかったなぁと実感しました。

 

そして、さらに教養の無さを露呈することがありました。

お詫びがあります。以前、2月4日のブログ 

14. 節分 - こちら目黒区矢内原公園前数理棟

にてこんなことを書いてしまいました。

 

同じように、東京23区の中で、その実力を買われ、たった一文字で1区を任されている唯一の区が「区」です。

 

「唯一」という表現に誤りがありました。そうですね、23区には「港区」があります。港区のみなさん申し訳ありませんでした。とほほ。

 

 23区ぐらいは全部言えるようになって大学を卒業したいものです。

 

 

 

 

 

今回、東京23区の白地図を入手したサイトです。

CraftMAP -東京23区の地図素材集-

 

この白地図に自分が乗る電車とか、よく行く場所の位置を調べて書き込めば、なんとなく東京に詳しくなったような気になれると思うので、暇があれば、ぜひ(^^)

 

 

23. 福島民友

先日、福島に行ったのですが、その帰り際に面白そうだなと思って「福島民友」という新聞を買って帰りました。

その新聞に載っていた【復興の道標・不条理との闘い】というコラムがとても印象に残りました。福島民友のサイトを見たら、シリーズ5つが全部載っていたので簡単に紹介したいと思います。

 

時間がある人は、ぜひ、リンク先の5つをゆっくり読んでみてください。

(なんとなく印象に残ったところを引用しておきます)

 

【復興の道標・不条理との闘い】自分で見て伝えたい モモ吐かれた経験原点:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

2015(平成27)年夏、ミスピーチキャンペーンクルーの一員として横浜市の百貨店で福島のモモの販売促進イベントに参加。1人で買い物に来ていた女性にモモの試食を勧めた。「おいしいね。どこ産の?」との質問に「福島から参りました」と答えると、女性はモモを吐き出した。 

 

【復興の道標・不条理との闘い】自信持ち語る力を 原発視察、若者の学びに:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

 「若者が将来世界に出て『福島の原発どうなってるの?』と聞かれて『知らない』はまずい。自分の言葉で語れるようになってほしい」。東京大学教授の早野龍五(65)はそんな思いから昨年11月、福島高校の生徒を連れて東京電力福島第1原発を訪れた。18歳未満の若者が第1原発を視察するのは原発事故後初めてだ。事前に勉強会を重ねた生徒たちは、担当者に次々と質問を投げ掛けた。

 

 生徒たちの視察に対し、インターネット上などで数多くの批判が上がった。被ばくを懸念する意見のほか、「東電が見せたい物を見るだけ。東電の安全PRに利用されるだけだ」「どういう意図的な発信をするつもりでマスコミを同行させたのか」と非難された。

 

【復興の道標・不条理との闘い】偽ニュース海外拡散 格納容器の高線量...誤解:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

 「福島の放射線量が今、過去最高のレベルに達している」。視聴者数の多い米国のある放送局は、東電の発表を受けてそう報じた。画面には原子炉建屋の水素爆発など2011(平成23)年当時の映像が映し出され、当時取材に携わったという男性記者は「まさか6年たってここまでひどい状況になるとは夢にも思わなかった」と深刻そうにコメントした。

 高線量の数値は、核燃料が溶け落ちた格納容器内の線量だが、あたかも福島県全体の線量が上がったと取れるニュースもあった。実際は格納容器の外は線量に変化がなく、異変は起きていない。この6年、放射性物質の自然減衰などの効果で本県の放射線量は低下し続けている。

 事実と異なる情報は、英語圏にとどまらず中国語やフランス語でも広まった。「福島に来れば『フェイクニュース(偽記事)』だとすぐ分かるのに」。福島大助教のマクマイケル・ウィリアム(34)はうんざりした様子で語る。

 

【復興の道標・不条理との闘い】無関心が偏見を生む 現状見ずイメージ固定:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

 県外の人に正しい理解を求めていくことは重要だとする一方で、6年が経過した現在では限界もあると感じている。

 「福島と関わらない限り、県外の人が『シーベルト』など放射線の基礎知識を勉強しても日常生活の役には立たない。放射線が人ごとになるのはしょうがない。ただ、偏見で県民が苦しむということだけは理解してほしい」

 

【復興の道標・不条理との闘い】映像で描かれた福島 真摯に向き合う作品も:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet

震災後、福島県原発事故をテーマに多くの映画が作られた。誤解に満ちた表現や、政治色を前面に出した展開など、県民にとって見るに堪えない作品も少なくない。

 

しかし、時間の経過とともに県民と真摯(しんし)に向き合う映像作家も増えた。ドキュメンタリー映画「新地町の漁師たち」(福島市で4月公開予定)もその一本だ。福島市の映画館「フォーラム福島」の支配人・阿部泰宏(53)は「漁師さんたちの痛みやジレンマが、私たち内陸部に住む県民にも伝わってくる」と評価する。

 

阿部は「発生直後ではなく5年、10年としばらく時間を置いてから動き始める映像作家もいる」と言う。「これまでの『福島はかわいそう』という単純な構図とは違って、彼らには新しい視点からのメッセージを発信してほしい」

 

 

福島のよそ者という立場の自分は、この5つの記事を読んで、いろいろなことを考えました。

 

まず、モモのおばさんの気持ちが少しわかるなということです。自分にも

「危険じゃないかもしれない。しかし、関わらずに済むならそれが一番」

という気持ちがあります。疑わしいものは関わらない、そういう生き方のほうが賢かったりするのかもしれません。 

「今は」特に何の異常も見受けられないが、もしかしたら遠い子孫になんらかの異常が出るかもしれない…

そんな漠然とした不安があり、そう思うことははたして悪いことなのでしょうか。

 

ただ、そんなことを考える一方で、もう既に今の自分たちの生活はたくさんの「疑わしいもの」の上に成り立っているという現状もあるなとも思いました。遺伝子組換食品やたくさんの化学調味料、携帯の微弱電波に常時さらされることも危険と言っている人も聞いたことがあります。

このような現状を肯定して生活しているのなら、そうしたたくさんの「疑わしいこと」の一つである「安全だと判定された福島県産のモモ」だけを特別に疑うことはなんか理屈が通らないような気もしました。

 

 いずれにせよ、5つの記事を読んだことで、自分が持っている福島県の知識というのが非常にあいまいなものであるということを自覚することはできました。また、自分と同じようなあいまいな知識、勝手なイメージを持った人の配慮のない言動、振る舞いによって傷ついたことのある福島の方がたくさんいるということも知ることができました。気をつけていきたいです。

 

 

よそ者がつらつらと偉そうなことを書いてしまってすみません。

 やさしさには賢さが必要だなと思う今日この頃です。

 

 

 

22. 福島

福島県出身の友達の実家へ遊びに来ました。

 

国道6号をドライブしました。

 

福島県は大きく縦に三つの地域に分けることができて、左(西)から

会津中通り浜通り

 

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と呼ばれています(適当な図ですみません)。

 

http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/saibun/fukushima.pdf

(ちゃんとした図)

 

国道6号はこの太平洋側の浜通りを縦断する通りで、相馬市南相馬市浪江町双葉町大熊町楢葉町広野町いわき市と通っています。

 

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南相馬市の鹿島という町で見た一本松です。奇跡の一本松というと、岩手県陸前高田市気仙沼のものが有名ですが、南相馬市にも奇跡の一本松があります(知りませんでした)。

南相馬市津波の被害が甚大だったようで、この市だけで死亡者は1121人に及んだそうです。

 

東日本大震災における死者・行方不明者数及びその率(県別および市町村別)

 

こうして現地に立つと、今までなんとなく聞いていた被害というのが具体的に想像でき、6年前の3月11日起きたことの恐ろしさにゾッとします。

 

辺りは更地で、瓦礫とかはもうありませんでした。広い平地にたくさんの太陽光発電のパネルが並べられていました。

 

また、そこの工事現場に展示されていたパネルには、新しい堤防についての説明が書いてありました。想定を超えた堤防では防ぎきれない大きな津波が来ても、堤防自体は壊れることのないようにする工夫が説明されていました。

 

 

ドライブの出発前、福島市内の区役所で「ガイガーカウンター」という放射線量を測るマシンを借りた(無料で借りられました)のですが、流石に、福島第一原発の周りの放射線量は高かったです。

ただ、そこで撮った写真を見直したら、撮った写真がこれしかありませんでした。

 

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地面に置いてあるガイガーカウンターとか全く信用できないですよね笑。

もう少し、ブログを意識した写真も撮れるようにならねばと反省しました(別にブログを書くために観光したり、写真を撮ってる訳ではありませんが)。

 

この単位はμSv/hです。細かい説明はよくわかっていないのでしません。ただ、今回の旅行で見た範囲では

 

福島市内 0.03 ~ 0.2 くらい

居住制限区域 0.1〜2.5 くらい

福島第一原発近く 7.0くらい

福島第二原発近く 1.5くらい

 

みたいな感じでした。

(測り方とかも適当で、うろ覚えなのでただの旅行の感想だと思ってください)

 

ただ、こう放射線量を見ながらいろいろと観光することで、福島で生きるということを少しリアルに感じられたような気がしました。

 

そして、こうした状況は、前半に書いた「津波の被害」の一本松とは異なり、社会の一つの決断の結果、生じた「原発の被害」であるということはしっかりと心に刻んでおくべきことだと思いました。

 

 

最後に福島のリアルということでもう一個。

 

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「いかにんじん」

福島の郷土料理だそうです。いかとにんじんをあえた料理です(写真は食べかけです)。なんか気づいたらパクパク大量に食べていました。こういう小さい郷土料理を教えてもらえるのも友達の家に行く醍醐味みたいなところがありますよね。ごちそうさまです。

 

 

今回は会津の方などには行けなかったので、福島には学生のうちにまた来たいと思います。

 

 

21. 日光

栃木県日光市にやってまいりました。

 

日光東照宮華厳の滝、戦場ヶ原や中禅寺湖などたくさんの観光スポットがあるのにかかわらず、浅草駅から東武線で1360円、学割を使うと1090円という驚異的な値段で行くことができます。

 

日光って、一帯が世界遺産に登録されてるんですね。

 

1999年12月(平成11年)には東照宮42棟、 二荒山神社23棟、輪王寺38棟の計103棟の建造物と周辺に自然環境が一帯となって形成する文化的景観が評価され 「日光の社寺」をして世界遺産に登録されました。

 

日光東照宮について&世界遺産日光の歴史について

よりの引用です(原文ママ)。

 

 

東照宮へ行ってきました。

 

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1616年(元和2年)に徳川家康が死去して、その翌年、遺体が運ばれたのがここ、東照宮です。

ちなみに、運ばれた当時は、まだ「宮」ではなく東照社で、その後、1645年(正保2年)に朝廷から宮号を授与され、東照宮となったそうです。

 

そんな東照宮の奥まで行くと、徳川家康のお墓を見ることができます。

 

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家康様のお墓の前に来ると、なんだか涙が止まらなくなりました。あと、鼻水も。

 

振り返るとスギ。

 

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花粉の季節が始まりますね。気張っていきましょう。

 

 

他にも東照宮では、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿や、眠り猫、鳴き竜などの有名なものを見ることができました。ただ、参拝料が1300円というのに少し不満が残ります(浅草-日光の値段とほぼ同じ!)

 

その上、個人的に一番楽しみにしていたのは国宝の陽明門は、まだ修復が完了していませんでした。

 

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 ちくしょう、なんだこの陽気な幕は?と調べてみたら、どうやら、あと3日で4年ぶりの公開だったそうです。

こんな陽気な幕がついてる陽明門を見れたのだから逆にラッキーと思うことにします。

 

3月10日から見れるそうです。日光にお越しの際はぜひ。