24. 東京23区
先日3月9日の投稿
で福島県は大きく「浜通り」「中通り」「会津」の3地域に分かれていると書きました。ちなみに、この頭文字たちをとって、福島のNHKの月〜金曜日18:10〜19:00には「はまなかあいず」というニュース番組がやっています。なんかほっこりする名前ですね。
そのことを受けてふと思った、自分の住んでいる23区はどういう形になっているのだろう?という疑問から、久しぶりに23区の地図を見てみました。
突然ですが、これが白地図です。みなさんは、どこに何区があるのかわかりますか?
スクロールすると答えがあります↓
正解
みなさん、どのくらい知っていたでしょうか。この白地図、区の境界と河川がよくわからなくなっているところがありますが、あしからず。
23区をこういう風に見るのはおそらく、中学生の時以来なのですが、全然覚えてませんでした笑。
北区ってこんなに広いとは思っていませんでしたし、中央区がこんな位置にあるのも知りませんでした。台東区って海沿いにあると思っていました(それは江東区)。
23区のこと全然知らなかったなぁと実感しました。
そして、さらに教養の無さを露呈することがありました。
お詫びがあります。以前、2月4日のブログ
にてこんなことを書いてしまいました。
同じように、東京23区の中で、その実力を買われ、たった一文字で1区を任されている唯一の区が「北区」です。
「唯一」という表現に誤りがありました。そうですね、23区には「港区」があります。港区のみなさん申し訳ありませんでした。とほほ。
23区ぐらいは全部言えるようになって大学を卒業したいものです。
今回、東京23区の白地図を入手したサイトです。
この白地図に自分が乗る電車とか、よく行く場所の位置を調べて書き込めば、なんとなく東京に詳しくなったような気になれると思うので、暇があれば、ぜひ(^^)
23. 福島民友
先日、福島に行ったのですが、その帰り際に面白そうだなと思って「福島民友」という新聞を買って帰りました。
その新聞に載っていた【復興の道標・不条理との闘い】というコラムがとても印象に残りました。福島民友のサイトを見たら、シリーズ5つが全部載っていたので簡単に紹介したいと思います。
時間がある人は、ぜひ、リンク先の5つをゆっくり読んでみてください。
(なんとなく印象に残ったところを引用しておきます)
【復興の道標・不条理との闘い】自分で見て伝えたい モモ吐かれた経験原点:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet
2015(平成27)年夏、ミスピーチキャンペーンクルーの一員として横浜市の百貨店で福島のモモの販売促進イベントに参加。1人で買い物に来ていた女性にモモの試食を勧めた。「おいしいね。どこ産の?」との質問に「福島から参りました」と答えると、女性はモモを吐き出した。
【復興の道標・不条理との闘い】自信持ち語る力を 原発視察、若者の学びに:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet
「若者が将来世界に出て『福島の原発どうなってるの?』と聞かれて『知らない』はまずい。自分の言葉で語れるようになってほしい」。東京大学教授の早野龍五(65)はそんな思いから昨年11月、福島高校の生徒を連れて東京電力福島第1原発を訪れた。18歳未満の若者が第1原発を視察するのは原発事故後初めてだ。事前に勉強会を重ねた生徒たちは、担当者に次々と質問を投げ掛けた。
生徒たちの視察に対し、インターネット上などで数多くの批判が上がった。被ばくを懸念する意見のほか、「東電が見せたい物を見るだけ。東電の安全PRに利用されるだけだ」「どういう意図的な発信をするつもりでマスコミを同行させたのか」と非難された。
【復興の道標・不条理との闘い】偽ニュース海外拡散 格納容器の高線量...誤解:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet
「福島の放射線量が今、過去最高のレベルに達している」。視聴者数の多い米国のある放送局は、東電の発表を受けてそう報じた。画面には原子炉建屋の水素爆発など2011(平成23)年当時の映像が映し出され、当時取材に携わったという男性記者は「まさか6年たってここまでひどい状況になるとは夢にも思わなかった」と深刻そうにコメントした。
高線量の数値は、核燃料が溶け落ちた格納容器内の線量だが、あたかも福島県全体の線量が上がったと取れるニュースもあった。実際は格納容器の外は線量に変化がなく、異変は起きていない。この6年、放射性物質の自然減衰などの効果で本県の放射線量は低下し続けている。
事実と異なる情報は、英語圏にとどまらず中国語やフランス語でも広まった。「福島に来れば『フェイクニュース(偽記事)』だとすぐ分かるのに」。福島大助教のマクマイケル・ウィリアム(34)はうんざりした様子で語る。
【復興の道標・不条理との闘い】無関心が偏見を生む 現状見ずイメージ固定:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet
県外の人に正しい理解を求めていくことは重要だとする一方で、6年が経過した現在では限界もあると感じている。
「福島と関わらない限り、県外の人が『シーベルト』など放射線の基礎知識を勉強しても日常生活の役には立たない。放射線が人ごとになるのはしょうがない。ただ、偏見で県民が苦しむということだけは理解してほしい」
【復興の道標・不条理との闘い】映像で描かれた福島 真摯に向き合う作品も:復興の道標:福島民友新聞社 みんゆうNet
震災後、福島県や原発事故をテーマに多くの映画が作られた。誤解に満ちた表現や、政治色を前面に出した展開など、県民にとって見るに堪えない作品も少なくない。
しかし、時間の経過とともに県民と真摯(しんし)に向き合う映像作家も増えた。ドキュメンタリー映画「新地町の漁師たち」(福島市で4月公開予定)もその一本だ。福島市の映画館「フォーラム福島」の支配人・阿部泰宏(53)は「漁師さんたちの痛みやジレンマが、私たち内陸部に住む県民にも伝わってくる」と評価する。
阿部は「発生直後ではなく5年、10年としばらく時間を置いてから動き始める映像作家もいる」と言う。「これまでの『福島はかわいそう』という単純な構図とは違って、彼らには新しい視点からのメッセージを発信してほしい」
福島のよそ者という立場の自分は、この5つの記事を読んで、いろいろなことを考えました。
まず、モモのおばさんの気持ちが少しわかるなということです。自分にも
「危険じゃないかもしれない。しかし、関わらずに済むならそれが一番」
という気持ちがあります。疑わしいものは関わらない、そういう生き方のほうが賢かったりするのかもしれません。
「今は」特に何の異常も見受けられないが、もしかしたら遠い子孫になんらかの異常が出るかもしれない…
そんな漠然とした不安があり、そう思うことははたして悪いことなのでしょうか。
ただ、そんなことを考える一方で、もう既に今の自分たちの生活はたくさんの「疑わしいもの」の上に成り立っているという現状もあるなとも思いました。遺伝子組換食品やたくさんの化学調味料、携帯の微弱電波に常時さらされることも危険と言っている人も聞いたことがあります。
このような現状を肯定して生活しているのなら、そうしたたくさんの「疑わしいこと」の一つである「安全だと判定された福島県産のモモ」だけを特別に疑うことはなんか理屈が通らないような気もしました。
いずれにせよ、5つの記事を読んだことで、自分が持っている福島県の知識というのが非常にあいまいなものであるということを自覚することはできました。また、自分と同じようなあいまいな知識、勝手なイメージを持った人の配慮のない言動、振る舞いによって傷ついたことのある福島の方がたくさんいるということも知ることができました。気をつけていきたいです。
よそ者がつらつらと偉そうなことを書いてしまってすみません。
やさしさには賢さが必要だなと思う今日この頃です。
22. 福島
福島県出身の友達の実家へ遊びに来ました。
国道6号をドライブしました。
福島県は大きく縦に三つの地域に分けることができて、左(西)から
と呼ばれています(適当な図ですみません)。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/saibun/fukushima.pdf
(ちゃんとした図)
国道6号はこの太平洋側の浜通りを縦断する通りで、相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、楢葉町、広野町、いわき市と通っています。
南相馬市の鹿島という町で見た一本松です。奇跡の一本松というと、岩手県の陸前高田市気仙沼のものが有名ですが、南相馬市にも奇跡の一本松があります(知りませんでした)。
南相馬市も津波の被害が甚大だったようで、この市だけで死亡者は1121人に及んだそうです。
東日本大震災における死者・行方不明者数及びその率(県別および市町村別)
こうして現地に立つと、今までなんとなく聞いていた被害というのが具体的に想像でき、6年前の3月11日起きたことの恐ろしさにゾッとします。
辺りは更地で、瓦礫とかはもうありませんでした。広い平地にたくさんの太陽光発電のパネルが並べられていました。
また、そこの工事現場に展示されていたパネルには、新しい堤防についての説明が書いてありました。想定を超えた堤防では防ぎきれない大きな津波が来ても、堤防自体は壊れることのないようにする工夫が説明されていました。
ドライブの出発前、福島市内の区役所で「ガイガーカウンター」という放射線量を測るマシンを借りた(無料で借りられました)のですが、流石に、福島第一原発の周りの放射線量は高かったです。
ただ、そこで撮った写真を見直したら、撮った写真がこれしかありませんでした。
地面に置いてあるガイガーカウンターとか全く信用できないですよね笑。
もう少し、ブログを意識した写真も撮れるようにならねばと反省しました(別にブログを書くために観光したり、写真を撮ってる訳ではありませんが)。
この単位はμSv/hです。細かい説明はよくわかっていないのでしません。ただ、今回の旅行で見た範囲では
福島市内 0.03 ~ 0.2 くらい
居住制限区域 0.1〜2.5 くらい
福島第一原発近く 7.0くらい
福島第二原発近く 1.5くらい
みたいな感じでした。
(測り方とかも適当で、うろ覚えなのでただの旅行の感想だと思ってください)
ただ、こう放射線量を見ながらいろいろと観光することで、福島で生きるということを少しリアルに感じられたような気がしました。
そして、こうした状況は、前半に書いた「津波の被害」の一本松とは異なり、社会の一つの決断の結果、生じた「原発の被害」であるということはしっかりと心に刻んでおくべきことだと思いました。
最後に福島のリアルということでもう一個。
「いかにんじん」
福島の郷土料理だそうです。いかとにんじんをあえた料理です(写真は食べかけです)。なんか気づいたらパクパク大量に食べていました。こういう小さい郷土料理を教えてもらえるのも友達の家に行く醍醐味みたいなところがありますよね。ごちそうさまです。
今回は会津の方などには行けなかったので、福島には学生のうちにまた来たいと思います。
21. 日光
栃木県日光市にやってまいりました。
日光東照宮に華厳の滝、戦場ヶ原や中禅寺湖などたくさんの観光スポットがあるのにかかわらず、浅草駅から東武線で1360円、学割を使うと1090円という驚異的な値段で行くことができます。
日光って、一帯が世界遺産に登録されてるんですね。
1999年12月(平成11年)には東照宮42棟、 二荒山神社23棟、輪王寺38棟の計103棟の建造物と周辺に自然環境が一帯となって形成する文化的景観が評価され 「日光の社寺」をして世界遺産に登録されました。
よりの引用です(原文ママ)。
東照宮へ行ってきました。
1616年(元和2年)に徳川家康が死去して、その翌年、遺体が運ばれたのがここ、東照宮です。
ちなみに、運ばれた当時は、まだ「宮」ではなく東照社で、その後、1645年(正保2年)に朝廷から宮号を授与され、東照宮となったそうです。
そんな東照宮の奥まで行くと、徳川家康のお墓を見ることができます。
家康様のお墓の前に来ると、なんだか涙が止まらなくなりました。あと、鼻水も。
振り返るとスギ。
花粉の季節が始まりますね。気張っていきましょう。
他にも東照宮では、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿や、眠り猫、鳴き竜などの有名なものを見ることができました。ただ、参拝料が1300円というのに少し不満が残ります(浅草-日光の値段とほぼ同じ!)
その上、個人的に一番楽しみにしていたのは国宝の陽明門は、まだ修復が完了していませんでした。
ちくしょう、なんだこの陽気な幕は?と調べてみたら、どうやら、あと3日で4年ぶりの公開だったそうです。
こんな陽気な幕がついてる陽明門を見れたのだから逆にラッキーと思うことにします。
3月10日から見れるそうです。日光にお越しの際はぜひ。
20. 旅行道中
ブログ16〜19で書いたように、北陸、京都、広島と西日本をぐるっと回って来ました。その道中、気になったどうでもいいことの一覧です。
・金沢カレーはフォーク
みなさんは金沢カレーと呼ばれる食べ物を聞いたことあるでしょうか?
(僕は知りませんでした)
そして、リンクの先にも書いてありますが、金沢カレーはなんと「フォーク」で食べるのです。
金沢にある「カレーのチャンピオン」というカレー屋さんに入って、びっくりしました。てっきりスプーンがなくなってフォーク出してきたのかと思って、なんて適当な店なんだと思ってしまいました。値段はリーズナブルでとてもおいしかったです。金沢行ったら海の幸は夜のお楽しみにして、是非、金沢カレーも食べてみて下さい!
・青少年に有害な図書用のゴミ箱
敦賀駅にありました。これは何のための箱なのでしょうか。何故、普通のゴミ箱ではいけなかったのでしょうか。なぜ、こんな捨てるものを限定した箱があるのでしょうか。
…集めたものを駅長さんが後で読みたいから以外の理由が思いつきませんでした。
・雪かきボランティア
これも敦賀で見つけたもの。北国の温かさですね。よそ者が逆に迷惑かけるのが怖かったので、雪かきはしませんでした。
これも北国の温かさ。気のせいかもしれませんが、点字ブロックのある道路が優先的に雪かきされていたように見えました。
・各地の新聞
北國新聞(金沢にて)
京都新聞(京都にて)
中國新聞(広島にて)
新聞のコラムにあこがれてこのブログを始めたみたいなところが少しあります。しっかりと慎重に事実を選び、わかりやすい言葉で表現する新聞記者ってすごいなと思います。
当たり前ですが、その地方にはその地方の新聞があんですよね。新聞名は地方の新聞といった感じですが、内容は普通の全国紙とほとんど変わらず、世界の情報を載せて、論評していました。日本という枠組みが少し、相対化できるような気がしました。
こういう新聞を見ると、自分もいい文章書けるようになりたいなという想いが強くなります。
・宮島の弥山の山頂付近にはラムネが売っている
無人販売でした。空気のいいところで飲むラムネは最高ですね。
・広島の路面電車はお釣りが出てこない(事前に両替する)
広島で路面電車の広島電鉄に乗りました。広電は市内均一160円で、運賃は降りる際に車内の運賃箱に入れます。この運賃箱に入れたお金にはおつりが出てこないので注意が必要です。車内で両替ができるので、事前に両替してちょうど160円を入れなければなりません。一緒に行った友達が失敗してしまいました笑。
まあ、こんな感じです。
旅はこういう予期しないモノが見れるので楽しいですよね。
19. 広島
人生初の広島。
原爆ドーム、平和記念資料館へ行ってきました。
原爆ドームでは偶然、原爆投下時のことを語るおばあさんの話を聞くことができました。とても具体的にわかりやすく話してくれたので引き込まれました。
話を聞くまでは、原爆ドーム付近の元安川を見て、ここにも身体が焼けて水を求めた人でいっぱいになったのかなと思っていました。
ですが実際は、原爆ドーム付近にいた人たちはほぼ全員、即死。
そのおばあさんの話を20人くらいの観光客が聴いていたのですが、こうして突っ立ている20人も全員即死したのだと想像すると、1発で死者20万人という数の異常さが実感できました。
平和記念資料館は想像通り重く、2時間ぐらいゆっくり見終わった頃にはぐったりしていました。遺留品など当時の様子を残す資料がたくさんありましたが、その一点一点に被害者の方の「実名」が記されていたのが印象的でした。
展示の最後の方に、広島市長による平成28年度の「平和宣言」の全文がプリントしてありました。
ここでは原爆を「絶対悪」と書いてあります。
自分はうがった見方なのかもしれませんが、どうして原爆は絶対悪なのかな、どうして戦争はいけないのかな、逆に、どうして原爆を必要とした人たちがいたのかな、どうして戦争を必要とした人たちがいたのかな、こういうことを知り、考え、理解しなければ、原爆が絶対悪であることを自分は納得できないのだろうなと思いました。
こういう難しい問題を「難しい」「社会は複雑」という言葉で片付けてしまわないで、広く情報を集め、根拠を持ってしっかりと判断できるような大人になりたいなと思いました。
ちょっと真面目っぽい感じになりましたが、今回は観光旅行です。広島観光といえば、そうです、宮島、厳島神社。
宮島につくとまず商店街で、そこら中いたるところ「かき」「カキ」「牡蠣」。
それも、焼きガキにカキフライ、カキ飯、カキ雑炊、カキ天ぷら、カキの串焼き…そして生ガキ。
とてもカキカキしい商店街でした。
あと、しゃもじもたくさん売っていました。
商店街を抜けると厳島神社
(大鳥居)
そしてその後、弥山(みせん)という山を登りました。
登山と思ってくれば、そこまでキツイわけではないですが、観光と思ってくるとかなりキツイ山でした。ホームページを見ればわかると思いますが、登りに来る方はしっかりと登山の準備をするべきだと思います。
(山頂より)
海に行くか山に行くかでもめている人たちがいたら、宮島というソリューションを提案してあげてください。
下山して、再び厳島神社のところへ来るとビックリ
(18:04)
(13:18 比較用)
「海が消えとる」
大鳥居まで歩いて行き、触ることができました。
海岸の階段とか、妙なポールとか、昼間ちょっと奇妙だなと思っていたものは、全部潮が引いたときのためのものだったんだと感動しました。
他にも広島城は展示がわかりやすくて勉強になりましたし、路面電車も乗れて興奮しました。
良い風景、うまい飯、戦争の歴史、旅の最後が広島でよかったです。
18. 京都
小浜から小浜線に乗り敦賀へ。そして、敦賀からサンダーバードで京都へ来ました。京都へ観光で来たのは、高校の修学旅行以来です。
今回の観光では「市バス・京都バス一日乗車券カード」がとても役に立ちました。
バス車内や京都駅のバス停などで購入でき、1枚500円。1日、京都市内を走るバスに乗り放題になります。バスは一律230円なので、3回乗ると元が取れます。(厳密には違いますが、こういう解釈で二日間の観光は困りませんでした)
バスの調べ方には慣れるまで、ちょっと時間がかかりましたが、慣れるととても便利でした。毎回検索すれば簡単なのですが、今回はなんとなく以下の二つを使ってバスを調べ、回りました。
バスナビ(路線図)
http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/cmsfiles/contents/0000019/19770/JPN0302(MAP).pdf
系統図
https://www2.city.kyoto.lg.jp/kotsu/busdia/keitou/keitou.htm
今回バスがすごく便利だったのですが、京都に住んでいる人に聞いたところ、この便利さは時期にもよるようです。
今回(2月14、15日)は観光客が多い時期でなかったので、とても快適に市内を回ることができました(二日間で合計14回)。
ですが、観光客が多い時期(お盆とか紅葉とか)は道路が渋滞して、さらにバスの中は人でギュウギュウで大変だそうです。
観光客が少ない時期に京都を観光する機会があったら、バスをご利用してみてはいかがでしょうか。
また、すぐに検索してしまわないで、上記の路線図などとにらめっこしてバスの路線を調べると、多少京都の道路の名前を覚えることができるというメリットもあるような気がします。五条通りって国道1号なんですね。
京都、人生4回目にして得た知見でした。
観光した場所
嵐山(渡月橋、竹林)
二条城